「院卒様は、こんなこと説明しなくてもわかるでしょ?」
今から10年前、20代後半だった私は、品質管理の職場で上司から毎日のようにそう言われていました。
ある朝、突然、会社に行けなくなりました。涙とため息が止まらず、体が動かない。そのまま心療内科に駆け込んで診断書をもらい、半月後には退職していました。入社から、まだ9ヶ月目のことです。
父には「3年は続けろ」と責められました。周りの同期はまだ誰も辞めていませんでした。自分は甘えているのかもしれない、逃げているのかもしれない、と何度も自分を責めました。
それから10年経った今、35歳になった私は、転職した会社でもう10年働いています。人間関係は穏やかで、あの頃のような涙は一粒もこぼしていません。
今ならはっきり言えます。あの時辞めたのは、人生で一番正しい選択だった、と。
このブログは、10年前の私のように「辞めたいけど、辞めていいのかわからない」と苦しんでいるあなたに向けて書きます。
プロフィール|20代後半で品質管理の仕事をしていたわたし

まずは、当時のわたしの状況を簡単にまとめます。
- 20代(女性)
- 大学院卒(理系)
- 新卒で入社「品質管理」の職場
- 会社に入って9ヶ月目で限界を迎える
理系の院卒で品質管理、と聞くと「専門性を活かした王道のキャリア」に見えるかもしれません。実際、入社が決まった時は家族も喜んでいました。
でも、そこで待っていたのは、わたしが一番苦手な種類の人間関係でした。
「院卒様」と呼ばれ続けた職場で起きていたこと

上司の口癖は「院卒様には言うまでもないだろうけど」
わたしの直属の上司は、高卒で現場から叩き上げてきた人でした。仕事の能力は高く、現場のことを誰よりもわかっている人。だからこそ、わたしのような後から入ってきた院卒の人間に、強いコンプレックスと敵意を持っていたのだと思います。
口癖はこうでした。
「院卒なのにわからないの?」
「院卒様は、こんなこと説明しなくてもわかるよね?」
質問をすれば「そんなこともわからないの?」と言われ、質問しなければ「勝手に進めるな」と叱られる。何をしても「院卒様」という枕詞がついてまわる。
最初は「気のせい」「自分が悪い」だと思っていた
今振り返ると明らかにハラスメントですが、当時のわたしは「自分が仕事ができないからだ」「上司にそう思わせる自分が悪い」と信じていました。
真面目に頑張れば、そのうち認めてもらえる。そう思って、毎日誰より早く出社し、わからないことは調べて同じミスをしないように必死に業務を覚えました。
でも、頑張れば頑張るほど、上司の当たりは強くなっていきました。なんだか空回りしている感覚です。
体に出始めた異変
入社から半年が過ぎた頃から、明らかに体がおかしくなっていきました。
- ため息が増える
- 笑うことが減る
- ほうれい線が深くなる
- ネガティブ思考になる
- 仕事の夢ばかり見て疲れが取れない
- シフトで一緒になると気持ちが沈む
でも、病院に行くという発想はありませんでした。「このくらい、社会人なら普通」「誰だって仕事はつらい」「甘えたことを言うな」と、頭の中の声がわたしを追い立てていました。
ある日、突然、会社に行けなくなった

涙とため息が止まらなかったあの朝
それは、本当に何の前触れもない朝でした。
いつも通り6時半に起きて、布団から出ようとした瞬間——体が動かなくなりました。
涙が止まりませんでした。声も出ないくらい、ため息だけがずっと漏れていました。
「会社に行かなきゃ」と頭では思っているのに、体が「NO」と全力で拒絶していました。
結局、その日は会社に「体調不良です」と伝えて休むことに。
「このまま行ったら、壊れる」と気づいた瞬間
次の日も、その次の日も、同じでした。体が動かない。涙が止まらない。
母が言いました。「病院に行きなさい」。
その一言で、ようやく私は「これは病気なのかもしれない」と認めることができました。
心療内科から退職まで、半月の記録

はじめての心療内科
翌日、近所の心療内科を予約しました。わたしは、ひとりだと不安だったので、母に付き添いを依頼。
初診の先生は、私の話を最後まで黙って聞いてくれました。そして、こう言いました。
「よくここまで頑張りましたね。しばらく休みましょう。」
その一言で、とても安心した記憶があります。
診断名は適応障害。先生は「このまま働き続けると、もっと重いうつ病に進行します」と、診断書をその場で書いてくれました。退職を前提とした、1ヶ月の休職を要するという内容でした。
会社への伝え方と、有給消化
診断書を持って、会社の人事部に連絡しました。直属の上司には、一度も直接話さなくて済みました。
- 診断書の提出
- 退職届の郵送
- 残りの有給休暇(約15日)をそのまま消化
一度も会社に戻らず、一度も上司と話さず、退職できたのです。
もし今、「辞めたいけど会社に行くのが怖い」と思っている人がいたら、伝えたいです。診断書さえあれば、あなたが会社と直接やりとりする必要は、ほとんどありません。
退職日までの半月間
有給消化中の半月間は、家で静かに過ごし、週に1回心療内科に通院していました。
最初の1週間は、ため息がひっきりなしに出ていました。でも2週間目に入ると、少しずつため息も減少。
会社に行かなくていいというだけで、こんなに体は楽になるのか、と驚きました。
退職理由を巡る「ファミレス面談」と、届いた手紙

診断書を出して退職手続きを進めている最中、思いもよらない展開がありました。
「彼女は不倫が原因で辞めるらしい」という噂
実は、当時の私の部署には、不倫関係にあると噂されていた上司が2人いました。
私はそのことに直接関わってはいませんでした。関わるどころか、正直「大人同士で好きにやってくれ」としか思っていませんでした。自分が毎日「院卒様」と削られていく方が、何倍も深刻だったからです。
ところが、私が退職するタイミングで、「あの子は、上司の不倫のことで悩んで辞めるらしい」という噂が社内で広まっていたのです。
初めてそれを知ったとき、私は本当に驚きました。そして同時に、怖くなりました。
本当の理由は「学歴ハラスメントで心が壊れたから」なのに、それが全然関係ない「不倫スキャンダル」の話にすり替わっている。このまま辞めたら、当事者の上司たちから逆恨みされるかもしれない——そんな不安が、病み上がりの心にまた重くのしかかりました。
副社長にファミレスで呼び出された日
そんな折、副社長から直接、面談の申し入れがありました。
場所は会社ではなく、近くのファミレス。
今振り返ると、この「ファミレス」という選択には意味があったのだと思います。会社の会議室では、誰に聞かれるかわからない。不倫の噂も含めて、この話は社内で公にできない。だから、外で、2人だけで話せる場所を選んだのでしょう。
私は、副社長に本当の退職理由をすべて話しました。
- 直属の上司から毎日「院卒様」と揶揄され続けていたこと
- 不倫の件とは一切関係なく、純粋にあの上司との関係が原因であること
副社長は、黙って最後まで聞いてくれました。そして、「話してくれてありがとう。」と言ってくれました。
その後、誤解が解けたかはわかりませんが不倫をしていた上司たちからの接触はなかったので、大丈夫だったということにしておきます。
部署異動の提案を断った理由
副社長は、こう提案してくれました。
「部署を異動するのはどうだろう?あの上司から離れた環境で、もう一度やってみないか」
ありがたい提案でした。副社長の気遣いは、本当に嬉しかった。
でも、私はお断りしました。
理由は、はっきりしていました。
- 会社の見るだけで足がすくむ体になっていた
- 同じ会社にいる限り、あの上司と顔を合わせる可能性がゼロにならない
- 心療内科の先生から「環境を根本から変えた方がいい」と言われていた
- 何より、もう、この会社で働きたいという気持ちが戻ってこないと自分でわかっていた
「辞めたい気持ちの方が、強いです」
そう伝えると、副社長は少し残念そうな顔をしながらも了承してくれました。
今でもあの時の判断は正しかったと思っています。「環境を変える」ではなく「会社を変える」方が、私には必要だった。
不倫疑惑の上司から届いた「身の潔白」の手紙
退職手続きの最中、もう一つ想定外のことが起きました。
不倫の噂が立っていた上司の一人から、手紙が届いたのです。
内容は、要約すると「あの人との関係は、噂されているようなものではない。誤解しないでほしい」という、身の潔白を訴える手紙でした。
読んで、正直な気持ちは「……なぜ?」でした。
私はそもそも、あなたたちの関係性なんて、退職理由にしていない。興味すらなかった。なのに、なぜ私に「弁明の手紙」を送る必要があるのか。
私にとって、これが一番怖かった。
訳もわからないことで逆恨みされたら、退職後の生活にも影響が出るかもしれない。せっかく心を休めようとしているのに、退職したあとも会社の人間関係に振り回されるなんて、絶対に嫌でした。
結局、この手紙には返事をしませんでした。「関わらないことが、自分を守る最善の方法」だと、その時の私は直感的にわかっていたからです。
退職時に学んだ「説明しなくていい」という強さ
この一連の出来事で、私は大切なことを学びました。
退職する時、すべての人に本当の理由を説明する必要はない。
副社長のように「話すべき相手」には、きちんと話した。でも、噂を面白がる人や、身を守りたくて近寄ってくる人に、いちいち真実を説明する義務はない。
辞める時の私たちは、もうエネルギーが残っていません。そのわずかなエネルギーを、自分を理解しない人への弁明に使ってはいけない。
退職理由は、自分と、自分を心から心配してくれる人だけが知っていればいい。それで十分です。
父に「3年は続けろ」と責められた話

「9ヶ月で辞めるなんて」
退職が決まったあと、私は両親に報告しました。
母は「また次を探せばいいよ」と言ってくれましたが、父は違いました。
「9ヶ月で辞めるなんて、ありえない」
「3年は続けろ、というのが社会人の常識だ」
「どこに行っても、そんな根性じゃ通用しない」
「次の会社も、どうせまたすぐ辞めるんだろう」
やっと休めた心が、また壊れていく音がしました。
「3年続けろ」呪縛の正体
後になって思うのは、父の世代の「3年は続けろ」という言葉は、終身雇用が当たり前だった時代の価値観だということです。
一つの会社で定年まで勤めあげることが美徳だった時代。転職すると「辞めグセ」というレッテルを貼られた時代。
でも、今は違います。
- 転職が当たり前の時代
- 合わない環境で消耗する方が、長期的な損失が大きい
- メンタルを壊すと、回復に何ヶ月、または何年もかかる
「3年続けろ」は、あなたの命を守ってくれる言葉ではありません。
それでも私は辞めた
父には「ごめんなさい」と謝りました。でも、辞める決断は変えませんでした。
「辞めないと、わたしの心は死んでしまう」——そこまで追い詰められていることを、父はたぶん本当にはわかっていなかった。でも、自分だけはわかっていた。
自分の心を守れるのは、自分だけです。
退職して10年、今の私

転職して10年、同じ会社で働いている
退職してから3ヶ月ほど休んで、その後、今の会社に転職しました。
業種も職種も変えました。もう品質管理には戻りたくなかった。院卒という肩書きを武器にしない、人と関わる仕事を選びました。
それから10年、ずっと同じ会社で働いています。
こんな「普通」が、どれだけありがたいかを、当時の私は知りませんでした。
父との関係
父は、今では「あの時辞めて正解だったね」と言っています。
当時のわたしに言ったことなどすっかり忘れているようです。
そんなものなのかもしれませんね。
10年前の私に、伝えたいこと

もし、10年前のあの朝、布団の中で泣いていた私に会えるなら、こう言います。
「辞めて大丈夫だよ。人生は、やり直せる」
9ヶ月でも、3ヶ月でも、1ヶ月でも。辞めていい。
「3年続けろ」という声は、聞かなくていい。その3年であなたが壊れてしまったら、取り返しがつかないから。
転職先は、ちゃんと見つかる。あなたを大切にしてくれる職場は、必ずある。
辞めたあと、あなたは10年後、穏やかな日常を生きている。食事を美味しく食べて、ちゃんと眠れて、笑える日々を生きている。
だから、もう頑張らなくていいよ。
同じように苦しんでいるあなたへ

この記事を読んでくれているあなたは、きっと今、10年前の私と同じように追い詰められているのだと思います。
最後に、3つだけ伝えさせてください。
1. 体のサインを無視しないで
朝、体が動かない。食事が喉を通らない。眠れない。涙が止まらない。
これは気合いで乗り越えるものではありません。心療内科に行ってください。予約の電話が怖かったら、家族に代わりにかけてもらってもいい。私もそうしました。
2. 診断書があれば、会社に行かずに辞められる
辞めたいのに辞められない最大の理由は「上司にどう伝えるか」だと思います。
でも、診断書さえあれば、あなたが上司と話す必要はほとんどありません。人事部と事務的にやりとりするだけで、退職できます。
どうしても自分で連絡できない場合は、最近は、退職代行という選択肢もあります。私の時代にはあまり知られていませんでしたが、今は当たり前のサービスとして存在しています。
3. 「3年続けろ」は聞かなくていい
あなたの人生を決めるのは、あなたです。
9ヶ月で辞めた私は、10年後、穏やかに生きています。
あなたもきっと、大丈夫。
おわりに

長い記事を、最後まで読んでくださってありがとうございました。
このブログでは、これから私の体験をもとに、「辞めたいあなた」に役立つ情報を少しずつ書いていきます。
- 診断書のもらい方
- 退職代行の使い方
- 人間関係で辞める時の伝え方
- 次の仕事の見つけ方
10年前の私が知りたかったことを、まとめます。
もし、このブログが、誰かの「辞めていいよ」の背中を押せたら、これ以上嬉しいことはありません。
一緒に、少しずつ、前を向いていきましょう。

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